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死にたい死にたいと思う頻度が最近はとても高くなって、その度に朝まで起きてしまう。特に何かするわけでもなく、と書きながら就職活動の一環であるところのES記入をするのだけど、大抵そういうときに書いた文章はどうしようもなく絶望的なので意味がない。周囲の人間が努力を続けていることについては何も思わない。ただ慢性的にぼんやりと、死にたいなぁ、消えたいなぁ、必要じゃないならいなくてもいいんじゃないかなぁ、と考えている。それがほぼ四六時中頭に浮かんでいる日もあるし、調子の良いときは(つまり他人と一緒にいる時間が長い日)生きることに対する希望さえも持ち得る日もあるのだから、まったく都合の良い思考だ。
わたしが求めているのは他者からの認めと許しだ。「お前じゃなきゃだめなんだ」と言ってくれる電話の彼は、わたしの存在理由の根幹を支えている。彼からの深夜の電話こそが唯一わたしが自信を持って受けられる好意なのだ。しかし彼はわたしとは違う他者だ。結局わたしは他者からの言葉を求めながら、それは根本的な解決方法にはならないことを理解している。


具体的でなく、抽象的なことで悩み続けていたい。だけどそれはそれで、不安で不安で仕方がなくなる。仕方がなくなるから耳にイヤホンを差し込んで音楽に集中しようとするけれど、生憎イヤホンは片耳が聞こえなくなってしまったので用を為さない。こうなるとどうすればいいかと言えばひたすら睡魔が訪れるまで起き続けざるを得なくなる。それが毎日のように続いた今年は、恐らく地獄のような一年間になるのだろう。幸せも少々はやってくるだろうが、きっと慢性的に日常的に不安と隣り合わせの毎日になる。根拠はない。