父が亡くなってから、ひと月ほど経った。

いろんな事情があって陸続きではないところで人生の後半を送っていた父は、そこで最期を迎えた。母に自宅での看取りをお願いしていたので、母は父が亡くなるふた月ほど前から通いで世話をしていた、らしい。

わたしはというと、もう長くないという話を昨年の夏頃に聞いてから、そんなになかなか関心を持てなくて、うだうだしていた。最後に会いたい、話したいと思うなら、わたしからではなくあちらから歩み寄るのが筋ではないか、と思っていた。だって離れていったのはあちらなので、わたしが「会いたい」と思って「それならば」と迎えられるのは、何かが違うと思ったから。

とは言ってもそんなことでは一生やってこないことは重々理解していたので、亡くなる数週間前に時間を作って会いに行った。現地には母がいたけれど、なんだか自分の母というよりも、向こうの付き添い、という認識だった。わたしは気持ちの上では一人だった。

久しぶりに会った父は、「昔はかっこよかったのに、今こんな風になっちゃった」と細く小さくなった自分のことを嘆いていた。わたしも釣られて泣いたけれど、久しぶりの再会に対する悲しみより、自分が情けない姿になったことへの悲しみなのか、とがっかりしていたのも事実だった。

父は、一人になってから、さまざまな情報が遮断されているようだった。野球と時代劇と演歌で世界が閉じていた。仕事の話も少し聞いたが、褒めてほしそうにしていた。「自分はこんなに頑張っている」「えらいんだよ」という空気が感じられた。一つも褒めてあげられなかった。褒めてほしいのはどちらかといえばこちらのほうだし、苦労かけたねとかそんな労いの言葉でもかけてほしかった。結局それらは聞けずに終わったけれど。

 

 

家族という単語が嫌いだ。伴って、血縁という言葉も嫌いだ。

たまたまそこの家庭に生まれたから、何だと言うのか。家族というだけで何よりも尊ばなくてはいけない存在であることは、理解しがたく、また苦痛であった。何度言われたか、「お父さんを大切に」「それでもあなたのお父さんだから」と。自分たちを捨て置いて、どこかに行く父親が、本当に嫌だった。嫌になった。

今回の諸々を経て、「置いていかれたこと」「自分がいなくてもこの人は生きていけること」「自分の存在が必ずしもその人の幸せに影響するわけではないこと」に対する嫌悪感が強かったんだな、と改めて自覚した。父は、わたしたちがいなくても生きていた。生きていたし、そこでコミュニティを形成していた。「噂話ばかり」と文句を言いながらも、楽しそうにしている写真が多く見つかった。本当に嫌だった。わたしがいなくても幸せになれるなら、家族になんかなりたくないと思った。