好意というのは他人と比べるものではなく、自分の中で自身が一番好きだもん、と自信を持って答えられればそれでいい、と思う。なので、他人のそういった思い出話はあまり耳にしたくないし、耳にするとしても気を許した人の内容についてしか聞きたくない。

好きな人が被るのは幼い頃からずっと嫌いだ。この年になって、追いかけているバンドマンに対して、またこういう気持ちを抱くことになるとは思わなかった。わたしは好意を共有できないし、いわゆる「推し」という概念で人を見ることができない。いつでも、いつだって、きっとこれからもずっと、「好きな人」の括りで見るんだろう。