ばらのはなびらがちる

わたしはいつまでも鋭い心を持っていられなかった。鋭敏な神経で研ぎ澄まされて、わたしのことを傷つけるならお前も道連れにしてやる、なんて眼で相手を見ることはもう出来ない。世界中すべてを敵だなんて思いながら、世界に怯えながら生きることが、もう出来ない。随分長い間あまりにも現実過ぎる世界に放り込まれたせいで、あの頃の感覚が消えていく。消えてしまった。気付いたら夜中ずっと泣き続けることもなくなってしまったし、誰かのこと(特定の誰かなんだけど)を考えて朝になっていた、なんてこともなくなった。深夜に行き場のない思いを吐露したメールを誰かに送りつけることもしなくなったし、死にたいと呟いて大切な人を悲しませることもなくなった。感覚はいつの間にか鈍化して、少しのことでは泣かなくなった。たまに悲しくなることもあるけれど、わたしにはみんなが付いてるし大丈夫、と思うようになった。思うように、なってしまった。それがいいことなのかどうかはわからないけれど、どちらかと言うと今の自分より昔の自分のほうが綺麗だったと思うから、なんとなく寂しい気持ちになる。
水晶で作ったような棘を持つ少女は、美しくて深みのある輝きを湛えていて、でもわたしたちはそれに触れることは出来ない。崩れてしまうから。ぱきりという音をたてて折れてしまうから。思いを共有し合えるのは同じ棘を持った少女だけで、それは微かな音をたてながら綺麗に触れ合う。お互いが同じかたさだから、同じぐらいの力で、触れ合う。だけどいつの間にか中心の丸い球だけになって、透明どころか曇ってしまったわたしには、何も出来ない。出来ることは、いったい何なんだろう。
耳にイヤホンを差し込んだら大きな音ですべてを塞ぐの。誰にも声を掛けてほしくない、でもあなただけは気付いてね、わたしの今の気持ち。ねぇそうやって思うことなんてもうないって思ってるんでしょう、あなたの前ではにこにこしているもの。他人を気にするようになったのよ、少しは大人になったでしょう。ねぇでも、大人になるってこういうことなの? 自分の悲しみとか暗さとかそういうのを無視しながら生きることが大人になるってことなの? 具体的な悩みだけに囲まれて生きることが大人になることなの?


他人に媚びるようになりました。自覚しています。どうすればみんなから好かれるようになるのかな、と思うようになりました。だってそうしないとみんなわたしのこと変な眼で見るんだもの。「暗いねどうしたの」なんて、お前に言われる筋合いはないんだって思いながら「暗いですか?」ってにっこり返すのも、面倒なんだもの。それなら最初から明るくて健康的な女になればいいんでしょう、それが世界から望まれている姿なら、仕方ないじゃない。みんなそっちのほうが好きなんでしょう?
「死にたい」って思うだけで、呟くだけで、言うだけで、そんな目で見ないでください。大丈夫?って声を掛けないでください。そっと抱きしめてください。笑い掛けてください。馬鹿だなぁと笑いながら頭を撫でてください。歌うわたしを見て苦笑いしないでください。聞いてください。消えたいと思うことはそんなに恥ずかしいことなのですか。世界からの消失を望むことはそんなに笑いを誘うことなのですか。