mixiにめちゃくちゃゲーヲタみたいな記事載せちゃってでも消す気ないから恥ずかしいとか書いてるのはただの自己顕示欲です。興味ある人見に行けばいいんじゃないのとか思ったけど全体公開してねーや。
ここ最近「素敵な音楽にもっと早くに出会っていれば」とかずっと思ってたけど、わたしはその素敵な音楽に合わなかった分素敵なゲームに出会ってきてたじゃないか。と思ったら気持ちがすぅーっと軽くなった。わたしが今まで出会ってきた財産のひとつに確実にゲームが入っている。ほかの女の子たち男の子たちが出会わなかったゲームにわたしは出会ってきた。きみたちは持ってないでしょ、こんなにいろんな思い出が詰まったメモリーカード、ふふん、うらやましい? なんてね。わたしはきみたちが持ってるMDとかCDとかメモリースティックとか携帯電話を持っていなかったけど、ゲームの数とメモリーカードの記憶数だったら負けないよ、だって本当に好きだったもん。今でも好きだもん。
思春期の少年少女が周りの子たちが聞いてないアーティストを好んで聴いて自分が特別であるような気持ちになるみたいに、わたしはみんなが知らないような、知ってるけどそこまで一生懸命やらなかったような、やっててもまぁそこは違う感性でやってたかもしれないけど、とかとりあえずどうでもいいけどわたしはわたしの感覚でいろんなゲームやってたんだ。それだけでもうわたしは特別だったんだ。あの頃はゲームやる女の子の存在そのものが希少価値を持つ対象だったから、わたしは満足してたんだ。ゲーマーで演劇部でパソコン大好きってどんだけ根暗なんだよ中学生のわたし。高校でも大して変わらないけどそこにラルクとカラオケ大好きが入ったもんねー、ふんだ。友達も増えたもん。でも別に明るくなりたかったわけじゃない。明るくなるために友達作ったわけじゃない。たまたま気の合う人がそこにいただけだ。わたしは結局何をしてもわたしなんだ。当時付き合っていた彼氏に暴言を吐いたのもわたしでそれを反省している今のわたしで、その反省している傍ら明後日何気なくふたりでお出掛けする約束を取り付けているのもわたしで、汚いのも奇麗なのも全部含めてわたしなんだ。わたしはわたし以外のものにはなれない。わたしが自分のことを他人に塗れた存在だと思えばそれは普通のものになるんだろうし、わたしが他人に塗れていないと思ったらきっと普通じゃないんだろう。他人に貼られたラベルなんて自分から剥がすよ、そこに跡が残ってもわたし、知らないもん。そこに絵を描くよ。わたしはわたしであってわたし以外の何物でもないんだ。大人になっても子どものままでもわたしはわたしだよ。ななやはななやのままだよ。いつまでもゲームが好きで自分のことが少し嫌いで友達のこと好きじゃない風にしてるけど本当はとっても大切で母親と弟が何よりも何よりも大好きで自分勝手なままでいていいんだよ、そこで何かぶち当ったらそこで反省してね、もう落ち込まなくていいよ、そろそろ戻っておいで。