気持ちに名前はつけない

リリイシュシュのすべて、を見た。随分前から気になっていた作品ではあったけれど、あの「椎名林檎をやたら好きだと自己主張する人」と同じ空気が漂っているような気がして見るのを敬遠していた。が、先日高校の集まりで例の恐怖対象のカメラ少年であるところの彼が「俺が認めている映画のひとつ」として勧めていたので、ツタヤもちょうど半額クーポンやってるし見てみようかしら、と借りて、今日、ついさっきまで見ていた。家族で。
中学時代を思い出す、とかそういうのもあったけれど、見ているこちら側にはどうすることも出来ない無力感というか、どうしてそうなっちゃうのみたいな苛立ちとか、あの頃の閉塞しきった環境での息苦しさとか、いろんなものがぶわぁっと押し寄せてきて、ぽろぽろ涙がこぼれていた。それはきっと感動したから、とかそういうプラスの気持ちではなくて、悔しいとか思い出したくないとか、どちらかというとそういうネガティブな感情による涙。
今でこそこうやってきちんといられるけれど、もしこれを高校生の頃に見ていたら、わたしはきっともっと落ち込んでしばらく高校に通わなくなっていたんだと思う。あの頃は、だってわたしは、まだ自分は特別って信じていて、それでも自分の存在に確信を持てなくて、なんて中二病全開だったし、それに何よりあのときのわたしは弱かったんだと思う。だからいろんな人に心配されて、それで彼氏が出来たりしてた。ひどいものだ。


親の力、周りの大人の力がとても大切なんだ。違うものになってしまうけど、それでもやっぱり親の愛情ってとても重要な位置を占めているんだ、と思う。わたしにはお母さんがいたからこうやってまっすぐ育つことが出来たし、彼は父母を徹底的に嫌って、そうやってコンプレックスを持つような環境で育ったからあんなに捻くれているんだと思う。そう、なのかな。わからない、知ったかぶりはいけないよね。
それでもね、とりあえず、やっぱり親の愛って大事だと思うの。だからわたしも、そういう気持ちを子どもにさせないような大人にならなくちゃ。