頭の中はめちゃくちゃなの

抽象的な精神論ばかりを考えていてはいけないと思った。
日本人は環境に恵まれて豊かな生活を送って、でもみんな贅沢をして外国の状況には目もくれないでお化粧して可愛くして、それっていけない、っていうか、あまり良くない、というか、生きていく上で必要がないと言えばなくて、でもそれを求めるのはなんていうかもう仕方ないから、みんなで世界について考えることを習慣づけよう、って思ってたのが3時間前。わたしはだらけている場合ではなくて、行動しなくてはいけないぞーとか躍起になっていたのもこの時間。
23時に小学校と幼稚園が一緒だった男友達から電話が掛かってきて、最近の愚痴やら何やらを聞かされて、ついでにわたしも今書いたことをちらりと話してみたんだけど、「でもさ、世界で活躍している人達って日本の問題についてはどう思ってるんだろうね」なんて言われて、最初何を言われているのか理解が出来なかった。え、カンボジアの人は日本の状況なんか知らないよ、と思ってよーくよーく考えてみたら、青年海外協力隊とかそういう人たちのことね。いやもうすみません、理解力なくて。で、それを言われて、確かに世界に目を向ける前に、日本にもたくさん問題あるわー、とか思って、そうよね、人のこと言う前に自分たちのことどうにかしなきゃ、と思ったのが2時間前。少し消沈したのがこの時間。
で、更に仲良しの子から頂いたコメント(みくしー)が心に突き刺さりどうしようどうしようしながらあっちで日記を書いたのがさっき。頭が凄まじくグルグルしているのがよく見て取れる文章になっていて、素晴らしく錯乱している。あれをよく公開する気になりましたよねわたし。馬鹿じゃないの。
と、まぁ、自分のこともきちんと出来ていないのに、そんな奴がやれ世界平和だやれ環境問題だとか喚く権利はあるのか。いやいや権利はあるけれど、必要性がないのか? 恐らくこの問題は考えなくてはいけないことなんだろうけれど、それにしたってあまりにも実生活というか中身が伴っていないわたしなので、なんだかなぁ、と落ち込んでいる最中です今現在それは今it's now.


今まで考えることを放棄していたように思う。なるべく考えないように。出来ることならそういう問題にはなるべく関わらないように、面倒なことには巻き込まれないように、とそんな感じで生活してきた。たまに自分が優越しているわ、とか下らないものに浸って自己満足して、でもそれは揺らぎ続ける継続しない自信だから、また大したことでもないのに何かしらで落ち込んで寝込んで生活が大変なことになる。いつもの悪循環がまたやってきそうだけど、たぶん大丈夫。自分のことは理解しているつもり。本当に「つもり」。
なんかね、でも。自分のことが全部完璧に出来ている人間ってたぶん誰もいなくて、そういう人たちで成り立っている、んだよね。そんな人たちも他人のことを気にしたりするんだから、そのぐらいの感覚でそれを世界に広げることって出来ないのかなぁ。それこそ「甘いんだよてめぇ死ね!」とか言われるようなことなのかな。ああああもう、イライラする。自分の情けなさに。