雑記

小学校の図書室の場所は、今でも覚えている。二階の一番左端。音楽室の下で、放送室の上。週に一度か二度ぐらい、図書室で過ごす授業があった。わたしは『かいけつゾロリ』も『こまったさん』も『ズッコケ三人組』もみんなが読んでいるから読みたくなくて、意味もわからないのにモンゴメリの小説を読んでいた。内容なんてまったく覚えていないけれど、ただ文字を追う行為に魅力を感じていた。ダメな読書の仕方だなぁ。
モモちゃんシリーズを朗読してくれたのは、小学校の担任の先生だったっけ。今の小学生は何を読んでいるのかな、まだ『わかったさん』とかわかるのかな。小学校の図書室にラノベがあったらどうしよう、そしたらわたしは少しだけニコニコ動画を疎むかもしれない。今ももう嫌いだけど。

不思議なことに、中学の図書室の場所はまったく覚えていない。担任が『バッテリー』と『DIVE!!』を朗読していたのは覚えている。(余談だけど、この二冊はとても素晴らしい腐れ女子育成本だと思う。いや、おもしろいんだけどね。)どちらかというと地元の図書館に通っていたのかな、あんまり思い出せないけれど、ラルクGackt筋肉少女帯のアルバムを図書館で借りたのは、確かこの時期だった。そういえば、ラノベと声優大好きだったのもこの時期だった…。
その担任が『バッテリー』を紹介してくれたお陰で、今でもあさのあつこは好きな作家の一人だ。北村薫もそうだけど、思春期青春期の少年少女の機微を等身大だけど繊細に描く作家は好きだ。近代文学はどうしても、時代のせいか、成熟した十八ぐらいの青年ばかりだから、堅苦しい気になることがたまにある。その点両氏の作品は、のびのびとした気にさせる。わたしに背伸びを強要しない。っていうのも何年か前の話で、今のわたしは背伸びをしないでも大人にならなくてはいけない。大人について考えるのは久々だ。しばらく無視していた。

十代の頃に触れるものって、やっぱりとても大事だ。影響力が強い。今何を後悔してるかと言えば、それはやっぱり読書量の少なさだと思う。もっと名前で選ばないで、何にでも手を出しておけばよかった。あのときに好きになった作家は今も好きだし、逆に興味を持てなかった作家は今もなかなか手を出せないでいる。まぁでも、そんなに読んでも余計捻くれるだけなんだろうけど。
死にたいと思わせない作品は、素晴らしい。生きることへの希望を与える作品こそ読むべきなのかもしれない。考え込むことも悩むことも大切だけど、生に対しては貪欲であるべき、なのかなぁ。それは欲求に忠実であれ、っていうことではなくて、ううん。

ゼミの教授に
「そんなに無理して大人にならなくてもよいのでは?」
と言われてしまった。
わたしは今こそ背伸びしないようにするべきなのかな。最近は息苦しくてなかなかうまく話せないし、書き表せない。



22歳になりました、昨日、